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「少年よ女を抱け」  

Posted in エロについて

もしいまこの記事を読んでいる人が男の人だとしたら、あなたにひとつ問うてみたい。

 

エロを追い求めているか?と。

 

 

人類はこれまでにさまざまな文明を築き、進化を遂げてきた。それはもうここでは書き綴れないほどの数である。

 

我々は今でもなお日々進化している。そしてその進化を当たり前にするのも我々はまた得意である。

 

ガラケーを例に考えてみれば容易いだろう。ほんの数10年前まで我々電話を持ち運ぶことなどまったく考えていなかった。しかし、技術の発達により電話は持ち運べるようになった。最初は平野ノラがもっているような大きなものだったが、数年たつと手のひらサイズにまでコンパクトになった。

 

ここまで技術は発達したのかと驚いているのもつかの間、今度はスマホというものが出てきた。

 

ボタンではなく画面をそのままタッチして操作するというそのスマホのハイテクさに誰もがまた驚いたに違いない。しかし、そんなスマホも今では当たり前になってしまった。今スマホを持ってももうあの時の感動は味わえない。

 

慣れてしまったのだ我々は。人間とは慣れる生き物なのである。

そして慣れてしまうとその慣れた対象にはあまり興味をしめさなくなってしまう。

 

つまりは人間は変化する生き物なのである。心も体も。我々はそういうものなのだ。

このように我々はマクロな部分でもミクロな部分でも日々変化しながら生活している。

 

 

では、すべての物事が変化しているのかというと、答えは否。

こんなにもめまぐるしく変わる人類の歴史にも唯一変わらないものがある。

 

 

それは、

 

エロだ。

 

エロを追い求める心だ。

 

どんなに文明が発達しようとも、技術が発達しようとも、

我々のエロに対するあくなき探究心だけは変わらないのだ。

 

我々は過去から今に至るまで、常に希望を抱き、夢を抱き、女を抱いてきたのだ。

 

このブログはそんなエロというロマンを追い求めるものに捧ぐ。

 

※なお、このブログは男性目線で書いていく

 

「インターネットとエロサービス」

赤ちゃんとパソコン

 

昔と比べるとあらゆるものが発展している今日。我々はその技術革新によって様々な恩恵を得ているが、その中でも我々の生活に一番根付いているのはインターネットではないだろうか。

 

そしてこのインターネットによって、エロもといエロサービスが幅広く普及し身近なものになっていったように思われる。

 

だがまぁもともとエロサービス自体の歴史は古い。風俗の原型である娼婦などは世界最古の職業といわれており、昔からエロサービスは行われていた。

 

それから紙が出てくるとエロマンガやエロ雑誌、写真が出てくるとエロ写真、映画であればポルノ映画などが普及していった。

 

そしてそれにインターネットが加わり、エロ動画なるものが誕生した。

 

スマホの台頭もあり、今ではエロ動画も簡単に見れる時代だ。現代の男の子は平均して大体10歳ぐらいにはもうエロ動画をみているという。

 

インターネットによるエロだけが発達したわけではないが、エロがここまでフランクになったのは、まぎれもなくインターネットの出現によるものだろう。

 

 

 

「なにをもってしてエロいのか」

女性

エロとはなんなのか。単に裸の女性がエロいのか。いや、そんなことはない。

エロといっても、その中身は人によってさまざまだ。エロはその人の価値観で決まる。

 

女性の裸を見ても何も感じないが、女性のうなじを見たらとてつもなく興奮するという人もいるかもしれない。

 

ナイスバディーの外国人を見てもまったく勃起しないが、女子中学生のパンチラを見て勃起する人もいるかもしれない。

 

細くてスレンダーな若いピチピチ肌の女性より、腹のたるんだ中年女性に夢中になる人もいるかもしれない。

 

未婚の女性より、既婚の女性と性行為をする方が感じる人がいるかもしれない。

 

 

人によってエロは変わる。エロに固定概念はないのだ。

エロとは昔からある普遍的なもであるにも関わらず、その存在は絶対的なものではなく相対的なものなのだ。

 

エロというもの自体は常にありつづけつつも、その中身は宿すからだの中で変化をとげる。

 

我々はその各々の体に宿したエロを本能のままにただ追いかけるだけだ。

 

 

「少年よ女を抱け」

男と女

太古から我々はエロを追い求めてきた。エロの形は変われど、エロ自体が途絶えることはなかった。

 

エロになると我々はとても衝動的になり、発情的になり、興奮的になり、暴力的になり、無慈悲的になり、大胆になり、傲慢になり、投げやりになり、無邪気になり、そして冒険的になる。

 

子供なのだ。要するに、エロと対峙する時の我々の心は少年なのである。

 

たとえどんな形のエロであろうとも、我々の心は常に少年であり、常に女を抱いているのだ。

 

少年よ大志ではなく、女を抱け。それこそが人類の進化の糧となるのだ。

 

※まれに男を抱く男もいる。